私たちがこの社会で生きていく上で、不可避の負担が「税金」である。昨今、日本での税金の負担はますます大きくなり、政治の責任を問う声も大きくなっている。
「税金は、私たちの稼ぎの一部を強制的に奪っていく」
こう表現するとやや物騒ではあるが、私たちがそれを回避する術を持たないという点では、この表現は決して誇張ではないといえる。
政府は何故、私たち国民から「強制的に富を奪う権利」を持っているのか。その歴史的経緯や法的根拠はさておき、実は私たち国民も同様に、政府に対するある種の「強制的な権利」を有している。それは、選挙権(投票権)である。
政府が私たちから強制的に徴税という形で富を奪うことができるのと同じく、私たちもまた、選挙における投票という形で政府の生き死にを決めることができる。いわば、徴税権と投票権は、互いに相手に対抗するための権力なのである。
しかし、ここで私たち国民が真剣に考えなければならないことがある。それは、政府は私たち国民に対して徴税権を100%行使しているが、私たち国民は、政府に対して(その対抗力となるはずの)投票権をどれだけ行使しているかという点である。
日本における国政選挙での投票率は、約50%である。これは例えるならば、政府が私たちから100万円を奪っているのに対して、私たちはそのうちの50万円分しか権利を主張していないのだ。つまり、残りの50万円は「どうぞご自由にお使いください」という状態である。
こう考えると、冒頭で述べた「政治の責任」は、ほかならぬ「国民の責任」でしかないといえる。
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